談の湯
インタビュー

第2回 星山耕太郎様【前編】
崎山蒼志モバイルファンクラブ「崎山寝返りの湯」にて不定期に実施する「談の湯」
このコンテンツは崎山蒼志が是非この方にインタビューしたい!という方を
お呼びし崎山自身がインタビュアーとなりお届けする対談コンテンツです。


第2回は画家であり、『Face To Time Case』のジャケットアートワークを作成いただいた星山耕太郎さんをお迎えし、前後編でお届けいたします。
前編では、星山さんのアートとの向き合い方や影響を受けた本などの話からアートと音楽で共通すること、についてで話が盛り上がりました。

崎山 よろしくお願いします。星山さんの最近の絵もInstagramとかで拝見してます。

星山 見ていただいてありがとうございます。

崎山 「実存」っていう作品とか、「実存2」とか。

星山 それは子供のときのことを思い出して描いたんです。
子供のときって、気持ちはあっても伝える手段がなかったり、今みたいに絵を描いたりとか、崎山さんのように音楽で表すとかなかったので、なんかモヤモヤしてたのを思い出して。そういったときに戻りたいという意味も込めて描いたんですよね。そのモヤモヤが下のほうにあって。

崎山 すてきな絵だな、とすごく感銘を受けました。なんで戻りたいと思われたんですか。

星山 長くものを作ったりしてると、余計な衣がついていっちゃうんですよね。昔のことを思い出すと、作品のインスピレーションになりやすいというか。崎山さんの原風景で、青い絵本がありましたよね。

崎山 『よるくま』ですか。

星山 はい。ああいう感じで思い出して描いたものなんですけど。

崎山 なるほど。普段、頭の中で何割くらい絵のことを考えていらっしゃるんですか?

星山 会社員なので、普通に昼間は働いて、夜や土日に描くんですけど、勤務中はさすがに仕事に集中していますが、それ以外はずっと考えてます。

崎山 働かれているときに、絵のことが浮かぶときはあるんですか?

星山 正直ありますね(笑)。ずっと忙しいわけでもないので。昔は性格的に仕事は仕事、作品制作は作品制作って切り替えてたんですけど、今はデザインの会社なので、デザインの技術とかスキルとか、イメージを使って絵にしてみたり。デザインの場でも絵で得た感覚とか、交互に行き来できるようになりましたね。

崎山 それはめちゃくちゃすてきですね。

星山 いえいえ。無駄にしたくないっていう気持ちです(笑)。

崎山 デザインの仕事と絵は、近い部分もありますか?

星山 最初は近いと思っていたんです。僕は学生時代、美術大学に通っていたんですけど、在学中にテーマが見つからなくて、描きたいっていう思いはあるけど、何を描いていいかわからなくて、一回絵を辞めちゃったんです。それで、仕事としてアーティスト活動ができないかなと思って、勝手な思い込みでデザインの門を叩いたんですけど、やってみたら全然違う仕事だなって。

崎山 いまは、影響し合う部分もあるんですか?

星山 そうですね。力まなくなったのかもしれないですね。〈さあ、デザインをやるぞ〉とか、〈絵を描くぞ〉っていうよりも、わりと生活している自分が中心に来て、ニュートラルに考えられるようにやっとなってきたかなって。

崎山 すごいです。

星山 いやあ、難しいですよね、両立って。逆に崎山さんは、プライベートで友達といるときと、作品について考えてるときって、使う脳が違うというか、切り替えは意識してますか?

崎山 あんまり意識できてない部分があって。それがちょっと支障をきたしちゃってるところがあります。基本的に音楽のことばかり考えちゃって、リスナーとしても、こういうのやってみたいとか、あの人の音楽よかったなとか、今やりたい音楽とか、そういうことばっかり考えちゃってるので、時間がもうわからないっていうか。

星山 いいじゃないですか。

崎山 最初のほうは、自由研究みたいな音楽を作って出しちゃっていたので。

星山 でも実験って、時間があるときじゃないとできないって思いがちですけどね。ずっとこのペースで、無理やりにでも実験していくしかないんでしょうね。

崎山 うんうん。

星山 そんな感じもいいですよね。

崎山 絵はどこから描かれることが多いですか? 下書きとか。

星山 ほとんど下書きはしないんですよ。僕の絵って、分割されてるんですけど、その分割の線から描きます。そのあとは、絵の一番メインになる部分から順番に描いていきますね。ここがおそらく絵の中で一番目を集めるポイントになるだろうな、ってところから描いていくことが多くて。古典画法だと背景から描くんですよ、ダ・ヴィンチとか、一番遠くから描いて手前を描いて、最後に人物を描くとかなんですけど。

崎山 へええ。

星山 逆にデザインはメインから作っていく。そういうところがさっきお話しした、デザインの最終的なイメージを最初に作って、あとはその周りを決めていくっていうのは、ちょっとデザイン的なやり方かもしれないですね。

崎山 面白い。ほんとに星山さんの絵がすごすぎて。

星山 いえいえ。今回、全然ジャンルが違うところをまたいで影響しあえるといういい経験をさせてもらい、刺激になりました。

崎山 いえいえ、こちらこそです…。いろんな手法の絵の描き方っていうのは、普段練習されたりするんですか?

星山 練習はほんとに苦手で。テスト勉強とか、強制されるとダメなんですよね。
体系的にひとつのものを修業してこなかったので、自分の思いに任せて、好きな絵を片っ端から見て、水墨画とかグラフィティとかマンガとかいろいろ興味に任せてやってきて。それが集まったものを吐き出してる感じですかね。

崎山 すごすぎる。


星山 崎山さんって、テーマを決めて、レゲエならレゲエとかで、今マイブームだからずっと聴こうっていう感じですか? それとも雑食ですか?

崎山 雑食ですね。もう、なんでも聴きます。邦ロックから、UKパンクとか洋ロックとか、ハードコアとかラテン音楽とかジャズとか、ずっとランダムで聴いてます。

星山 いいですね~。聴いてるときは、取り入れようっていうことじゃなくて、楽しんでるんですか?

崎山 そうですね。ずっと楽しんで聴いてて、でも、これとこれを自分の中で合わせたらどうなるんだろうとか。

星山 同じ感じですね。引き出しにいっぱいしまってる感じですね、所有欲みたいに(笑)。

崎山 描き方の順序は、色の塗り方が決まっていても、感覚的にとか感情的に違った順序で描かれるときってあるんですか?

星山 それは結構あって。最初は、描き始める直前に、こういう方針で描こうっていうことは決めるんですけど、描き始めると予定通りに行かないんですよね。そのときは感情移入を優先するように習慣づけてます。経験的に偶然から新しい発見があることが多いっていうのがなんとなく自分の中にあるので、考えてきちっと設計図を立ててから壊すっていうか。レコーディングのあとにライブする感じです。きちっとした楽譜をライブで壊すみたいな。

崎山 ライブ盤みたいな。

星山 そういう感じで、実際描き始めると最初に思ってたのと全然違っていて。でも最初に決めないと描きながら迷子になっちゃうので。決めて壊すっていう感じですね。
ちょっと音楽からの影響もあるんです。ミュージシャンの友達がそのようなことを飲み会で言ってて。きちっと楽譜とか設計図を作って、ライブで完全に壊すっていう。

崎山 カッコいい。

星山 途中から違う音楽にしちゃったり、でも元の設計図通りにはできるようにしてて。すごいヒントになるなって。

崎山 そうなんですね。僕も参考にしたい(笑)。

星山 あはは。こないだのライブを拝見させてもらって、なってる気がしました。
全然違うってわけじゃないですけど、グルーヴが違っててビックリしました。アグレッシブなんだなって思って。

崎山 アグレッシブですか(笑)。設計図の段階でもうちょっとやっていきたいなって思ってます。そのうえでもっと壊すみたいな。

星山 ライブはお好きですか?

崎山 大好きです。バンドのときは、皆さんのグルーヴを感じるのが、ひとりのお客さんみたいな気持ちになるというか。皆さんに観ていただけてるのがほんとにうれしいですし、楽しんでいただけたらいいなって思ってるんですけど。あと、音を歪ませたりするときに使うファズっていうエフェクターがあって、より歪ませるファズというか、「音が飛んじゃうぞ!」みたいな売り文句の海外のファズを買って、それをライブでドカーンと弾くと、気分が上がるというか。

星山 やってるっていう感じになるんですか。

崎山 はい、それがうれしいんです。

星山 こないだの新曲も、わりと優しいというか。でも実は、ファズりたいんですね(笑)。

崎山 そうですね、ファズりたい気持ちはありますね。

星山 楽しみですね。


崎山 話は変わりますが、影響を受けた本はなんですか。

星山 たくさんあって、絞るのが難しいんですけど。一番スランプだった時期に、描いても自分の絵っぽくない気がして、4年ぐらい描くだけで全く発表できなかった時期があったんです。そのとき、自分のテーマを決めるきっかけになったのが、ノーベル文学賞を獲ったサミュエル・ベケットというアイルランドの劇作家の『モロイ』という小説です。それがもう、崎山さんの言葉を借りると、「変な」小説で。不条理劇みたいな。ものを考えるときって、頭の中で意識がいろいろ飛び火する感じってわかります?

崎山 はい。

星山 それを文章にするときは、一貫性を持たせてまとめるんですけど、この小説って、飛び火したまんまで書き続けてるんですよね。改行もなく。思ったその意識のまま、見たものそのままをスケッチするようにどんどん進んでいって。

崎山 すごい。

星山 ストーリーはあるようでないんです。途中で勝手に思いついたギャグがいきなり始まったり。急にギャグが終わったと思ったら、ぼーっとしてたので自転車にぶつかったりとか。それもそのまま叙述していくので、読み終わっても、結局何が言いたかったのかわからないんです。でも、考えると、それは“書くプロセス”をテーマにしていて、目的はないっていう小説なんです。生まれた理由や生きている理由を考えて、結局その意味はないって気づく。じゃあこのプロセスを楽しむしかないっていう。ベケットは書くことと生きることを重ねているんです。

崎山 なるほど。

星山 近代科学や哲学の発展により、ヨーロッパでは当たり前だった神様の存在が疑われはじめ、この先何を信じて良いのか分からなくなってしまいました。それを受けてこの人は、プロセスっていうもの、今を大切にする、今に集中するという小説を書いてるんです。それを読んで、別に絵に目的とかはいらないなと思って。絵を描くことについてをテーマにしようと思ったんです。それで自分の不安な心境とか、見るとか描くってどういうことだろうというのをテーマにし、肖像画、人を見ることをテーマにして描いています。そういう意味で、力まなくなったきっかけになりました。訳が分からない小説なんで、図書館にでも行く機会があれば。

崎山 もう、絶対読みます(笑)。

星山 本当ですか(笑)。本当に不思議で、普通の人は読んでても耐えられないと思うんですが、もし崎山さんが新しいインスピレーションが得られれば。

崎山 今のお話が励みになりました。

星山 ちなみにこの『モロイ』って、『マロウン死す』と『名づけられないもの』の三部作で、主人公が、急に自分のことを他人のように書き始めたりとか、どんどん変化していって、それが評されてノーベル賞獲ることになるんです。過去に例の無い小説という意味でも、今までにないものを作るっていうのが、すごい価値あることなんだと思ったきっかけでもありましたね。

崎山 ありがとうございます。他の画家の絵を見るときは、どこを見られていますか?

星山 いろんな見方があっていいと思ってるんですけど、僕に関しては、作者が何と戦っているかとか、動機をすごく見ます。絵は本当に、偶然とか未完のものだと思って見ているので、何をしようとしたか、何が言いたかったかとか、どうして書かなきゃいけなかったのか、そういうのが出ている絵を見ると「いいな」と思います。作品の中に、作者の人間性を探しちゃいますね。僕なんかは、ひとつに集中できなくていろんなところに気が散っちゃったりするので、ああいう絵になるんです。

崎山 人間性が出る、なるほど。

星山 機械的に描いた絵だと、なんかちょっと足りないなと思うのは、その人間性の部分かなってちょっと思ったりして。

崎山 ああ~。

星山 子供のころ、これで育ったとか、いろんな人がいるじゃないですか、いろんな目的があっていいと思うんです。作品を売るためとかでも、突き抜ければ絶対すごいものになるので。僕はこういう人間性を求める感じですね。

崎山 人間性と音楽は別だみたいな考え方が結構あって、たびたび議論になるんですが、僕はそう思えなくて。今の話を聞いて、それを思い出しました。

星山 それってどういうことなんですかね、分けたいっていうのは。

崎山 音楽って数学みたいなところがあるというか、12音とか、5度で景色が変わるとか、革新性とかを耳にしていくと、そういうものとエモーションの部分とが違うと考えられる部分が多いようです。でも、ものすごく理論的で確信的なことをやられても、絶対にまず感情や感覚に追従してるべきだと言ってる人もいて。

星山 面白いですね。絵もしょっちゅうです、そういうの。
本当に、どっちが正しいというのは絶対なくて。でき上がるものが価値あるものであればいいなと思いますね。作品と自分を突き放すっていうコンセプトで描かれた作品もあります。アンディ・ウォーホルとか、筆とかで今まで絵は描いてたのが、自分と絵を離すっていうので、印刷技術で描いたりとか。

崎山 すごい。

星山 ピカソ以降みんな、道具を変えたりしています。直接描かない、絵の具を棒で引っ掛けて飛ばしたり、シルクスクリーンやプリンターを間に挟んだり、作者と作品を離そうとする。それはそれで一代築いてるので面白いんですが、自分はどっちかといったら、ハンドメイド派なんだなと思います。作品で自分を語りたいタイプだなあとは最近自覚しはじめてますね。

崎山 ステキですね~。星山さんにとって理想の絵、作品とはどういうものですか?

星山 今は瞬間に集中して、そのときの自分の心情とか思いが、できるだけ刻印できたら理想的だと思います。今の自分を正直に突き詰めていけば、時代性とか、政治性もついてくるんじゃないかなと思います。具体的にそういうものを取り入れなくても。そういう信念はありますね。

崎山 自分を通してるものだから。

星山 絶対この時代に生きてるので、絶対出るはずで。でも飾ったりカッコつけたりすると、途端に台無しになっちゃうので、そこは難しいなとすごく悩みますね。

崎山 音楽は意味を求められがちな時代だなと思います。わかりやすさも素晴らしいと思うんですが、共感するとか、自分がここに意味を見出せるからよいとか。それはすてきなんですけど、そういうところにすごくフォーカスしてると、全部がフォーカスしてる感じがあって。

星山 それは歌詞の内容だけじゃなくてってこと?

崎山 歌詞の内容も結構多いと思います。

星山 音楽も、例えばAメロ、Bメロ、サビがあってわかりやすいとか。

崎山 そういうのもあるんですが、構成とかですかね。

星山 その問題って、我々作ってる側からすると結構深刻ですよね。何かを破壊したときに新しいものが生まれるじゃないですか。でも破壊すると理解されないじゃないですか(笑)。そのバランスがすごく難しいですね。答えは出ないです。

崎山 そのバランスを考えていきたいなって思っています。

星山 バランスなんでしょうね。素人なので全然わからないんですけど、音楽っ
て、わりと身体性を伴うので、僕はあまり考えずに楽しめたりするんですけど。

崎山 僕も完全にそうです。

星山 ちょっと素人っぽい意見になっちゃうんですが、絵の場合って、わからない人が〈何が描いてあるの? どういう意味なの?〉ってなるのが自然なので、やっぱり解説から入ってくところがどうしてもあって。でも、わりと絵も音楽と一緒で、卵をあげたらそれをかえすのはそれぞれの人で、解説を見ずともこういうことだから好きっていう見方を当たり前の状態にするのがまだまだなんです。なので、最初に理屈で説明しなきゃいけない。でも本当は説明するものじゃないし、というのはしょっちゅうあります。

崎山 恐縮ながらそれを音楽でも思うことはあります。

星山 テクニックとか、技術とか聞かれますもんね。

崎山 最近友達になったミュージシャンの人がいて、音楽をわかってる人が〈これね~〉みたいに思っても、わからない人がほとんどなんだなっていう話をしてて、ちょっと心にザクーときました。

星山 そうですよね。やっぱり、遠近法というか、その音楽と自分がいる距離によって、感じとるものが違いそうですよね。それは絵も一緒だなと思います。あんまりマニアックな説明しても、難しい絵なんですねって言われてしまう。
そういうのを上手にやってる人は、何も考えさせずに見せて、実はめちゃくちゃ裏で計算してたりするので、プロだなと思いますけどね。

崎山 それは絵がってことですか。

星山 例えば、奈良美智さんなんか有名ですけど、いろいろ秘伝のレシピがあるんですが、見る人は子供でも楽しめるように、最終的な形がシンプルに描かれていて。でもわかりやすくもなく、微妙な謎を残したまま描かれているんです。理屈じゃなく、思いで描いているからそうなるんだろうなと思います。

崎山 ステキです。音楽もちょっとそれを感じますね。

星山 絵はそれが理想ですね、日記みたいなもんですね。

後編へ続く
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